池波作品の中の蕎麦食いの場面は、その品書きだけで食に対しても粋を重んじた江戸の文化が香ってくるようです。
細打ちの蕎麦を「白髪蕎麦(しらがそば)」。
山芋を出汁でやわらかく摺りあげ、蕎麦へかけた「泡雪蕎麦(あわゆきそば)」
単に「ねぎ蕎麦」、「とろろ蕎麦」などと呼ばない、江戸っ子の美学が、実に心地良いではありませんか。

粋と言えば、仕掛人シリーズの『梅安晦日蕎麦』には、こんな場面があります。
梅安と相棒の彦次郎が、大晦日の夕刻、例年の如く連れだって馴染みの蕎麦屋へ年越し蕎麦を食べに出掛けようとしたちょうどその時、梅安の菩提寺から若い僧と寺男が、大八車に道具や材料をいっぱいに乗せてやって来て、「失礼ながら、心ばかりの」と、
梅安、彦次郎が瞠目するほどの手際の良さで蕎麦を捏ね、打ち、柚子の入った柚子切り蕎麦まであっという間に作り上げたかと思うと、
「それでは、お正月のおいでをお待ちしております。」と言い残して立ち去ってしまう。
「驚いたね。どうも・・・」呆気にとられた二人が、しかし、梅安がしみじみと
「何にしてもありがたいことだ…」と感謝を口にする、という件です。
まぁ早い話がこれは、日頃少なからぬ布施を欠かさない檀家の梅安への、寺からのお歳暮なワケですが、僧たちが、本来の仏事のみならず、嗜みとして蕎麦打ちを心得ており、
しかも相手に遠慮も恐縮もする暇さえ与えずに引き揚げてしまう、その立ち居振る舞いのスマートさに思わず「かっこいい!」と感じるのと同時に、そのさりげない人の情けに、仕掛人としての緊張をそっと解かれる想いに、思わず静かに感謝を口にする梅安の胸の内・・・
情景が鮮やかに浮かぶ、これだけの場面を、まったく無駄なくたった数行で描き切る池波先生の筆致の見事さには舌を巻く他ありません。

さて『剣客商売』では、秋山小兵衛の女房お春が、盛り蕎麦に鶏卵の黄身だけを選り
分け、それに蕎麦を絡めて器用に手繰る場面があったり、同じく同作で小兵衛や、倅 大二郎に、蕎麦屋で酒の肴に蕎麦掻を食べさせていて、これもまたついつい今夜は自分も蕎麦掻でも拵えて酒の肴にしよう、などと思ってしまうほど、実に旨そうなのです。

酒の肴と言えば、池波先生は呑兵衛には誠に嬉しい言葉を残されています。
曰く「酒を呑まないやつは、蕎麦屋に入る資格は無い」「酒を呑まないなら、私は蕎麦屋になど入らない」というものです。
まぁ、これは下戸の方にしてみたら、ずいぶん横暴な話だとお思いになるでしょうが、
氏は昼下がりの散歩の途中、よくふらりとお気に入りの蕎麦屋に入って昼呑みを楽しんでいたそうで、「昼間に酒を呑むなら、蕎麦屋に限る」と発言されていたそうです。
また「良い蕎麦屋」の条件として、「良い酒を置いていること」ともされていたそうで、
よく、わさび芋 板わさ 鳥わさ 焼き海苔 玉子焼きなど、日によって様々に肴(この肴のことを、蕎麦の前に食すもの、蕎麦前と称するそうです)を選び、ゆっくりと酒を口にして二合ほどを時間をかけて愉しみ、夕刻が近づいて店に客の姿ががちらほら見え始めたら、盛りを一枚誂え、サッと手繰って外出て、まだ明るさの残る中を帰路につく、のだそうです。
日頃いたずらにあくせくしているばかりの私なぞは、なんとも優雅で贅沢な時間だなぁと思ってしまいます。

平成2年5月3日、急性白血病により、67歳で逝去した氏の葬儀が、同6日、千日公会堂で営まれ、その際同じ作家仲間の山口瞳氏が、後々語り草となる弔辞を読みました。

「先生は根っからの旅人で、いつも旅をされておられたが、特に江戸に長逗留をされた。」

池波先生への弔辞としては、これ以上ない素敵な言葉で、
先生、きっと天国で照れながら「やられたな」と頭を搔いておられたのではないだろうか。